大切な人に会いに行く

日常

ずいぶん前になるが、仕事を共にした仲間が山梨に移住した。

最近Facebookで連絡を取り合うようになり、久しぶりに会うことになった。

仕事のことで色々とアドバイスをくれた、僕にとっては大切な人だ。

僕は大切な人に会うためには、時間やお金を惜しまないようにしている。

何かを求めるという訳でもなく、ただ一緒に過ごす時間が幸せでいられるからだ。

彼が自分の住まいとして選んだ場所を訪れるのは初めてで、

そこは想像した以上に自然の中で暮らす場所だった。

ナビだけを頼りにしてしまうと、ちょっと不安になるような道に案内される(笑)

ちょっとした場所で、なんとなく撮った写真ですら絵になる。

もう10年近く会っていなかったと思う。

以前と変わらず、明るく人の良い彼は今でも健在だった。

自分の好きな場所で、好きなことをする。

彼は本当の意味で『自由』を手に入れていた。

話をしていても、彼の口から出る言葉は、どれも喜びに満ちていた。

東京をはなれる時、彼のことをあれこれ言う人間もいた。

それでも、自分の選択した人生を歩んだ彼は、今こうして幸せに暮らしている。

人生において何が必要で大切なのか、彼から学ぶことはたくさんあった。

彼の好意で一泊させてもらうことになり、話は尽きることなく深夜まで続いた。



楽しい時間は一瞬のようにして過ぎてしまう。

またの再会を約束して、次の日の早朝、彼の家を後にした。


そして、偶然にも同じ市内に僕の父親が住んでいる(笑)

最初地図を見た時は驚いてしまったほどだ。

ここまで来ているのに、スルーして帰るわけにもいかないので

帰り際に顔を出していくことにした。

家に入ると、人懐っこいラブラドールがお出迎えしてくれる。

なぜか人の股下を潜り抜けることが大好きで、お決まりのショットになってきた(笑)

父親にも時々会いにくるようにしている。

僕は数年前に母親を亡くし、実はそれまで父親とは疎遠状態にあった。

お互いの価値観のようなものが合わず、言葉を交わすことが無くなり

気がつけば家族でありながら、家族のあり方を忘れていた。

母親が亡くなったことがきっかけになってしまったが、それから父親との会話が増えた。

価値観は当時からお互いに何も変わってはいない。

会話が増えた理由は簡単で、話す時間が足りなかったのと、言葉が足りなかっただけのことだ。

人は会話という優れたツールを持ちながら、十分に活かせていないことがあると思う。

思っていても口に出さなければ、その本意は相手に伝わらない。

今思うと、やらずにして終わっていたような感じがして、何とも勿体ない。

ゆっくり食事をしながら会話を交わす時間はとても貴重だ。

いつも、もっとたくさん時間が欲しいと考えてしまう。

だけど、時間は有限だからこそ価値があるわけだし、有効的に使うようになる。

少し足りないぐらいで、僕はちょうど良い。

歳を重ねるにつれて、大切な人に会うことがどれだけ貴重な時間なのかを

分かってきたような気がする。



ではまた。

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